原語で味わう詩篇

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2010年 03月 30日 ( 1 )


2010年 03月 30日

詩118篇 「栄えさせる」

צָלַח ツァーラハ

・25b節「ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。」 (新改訳)
・25b節「ああ、ヤーウェ。どうか成功させてください。」(岩波訳)

Keyword;「栄えさせる、成し遂げさせる」 prosper, succeed,
1:3/37:7/45:4/118:25

◆ツァーラハצָלַח(tsalach)という動詞は、礼拝用語にも、恩寵用語にもなります。前者の礼拝用語として使われる場合には、「成し遂げる」「目的を果たす」「みごとに実現する」「勝利を得る」「繁栄する」という意味になります。恩寵用語として使われる場合には、「栄えさせる」「成功させる」「繁栄させる」「幸運な人にさせる」「成し遂げさせる」「幸いをみせる」という意味になります。

◆詩1篇3節では、主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのそのおしえを口ずさむような人を、主は、水路のそばに植えられた木のように、「何をしても栄える」とありますが、それがツァーラハצָלַחです。ですから詩118篇25節の「主よ、どうぞ栄えさせてください」とは、「私のすることすべてを成功させてください。」ということになります。

◆ツァーラハצָלַחは旧約では55回、詩篇では4回と少ないのですが、イザヤ書ではとても重要な箇所に出てきます。特に、受難のしもべを預言する53章では、その苦難のしもべを砕いて、痛めることは主のみこころでした。イザヤ53:10には、「主のみこころは、彼(受難のしもべ)によって成し遂げられる。」とあり、そのしもべも自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て満足する。」とあります。イザヤ55:11では、神は「わたしの口から出ることばも虚しくわたしのところに帰って来ない。必ず、わたしの望むことを成し遂げ、わたしの言い送った事を成し遂げさせる。」とあります。

◆イエス・キリストの十字架上で語った七つのことばの第五番目に、「わたしは渇く」というのがあります。確かに、キリストは一滴の水も口にすることができなかったため、そうした肉体的な渇きはあったものの、ここでいう「わたしは渇く」とはそのような意味合いではありません。イエスのいう「わたしは渇く」とは、換言するならば「わたしは神のみこころを実現したい。それを成功させたい。」ということです。これがイエスの言う「渇き」です。

◆壮絶な痛みと苦しみにもかかわらず、最後まで御父のみこころを実現することが御子イエスの食物であり、渇きをいやすものでした。そしてそれがもう目前に迫った時、「完了した」と叫ばれたのです。これはイザヤ53章の苦難のしもべが「自分のいのちの激しい苦しみの後を見て満足する」ということばと同義です。イエスはみこころを成し遂げた後、て「父よ。わが霊を御手にゆだねます」と言って息を引き取りました。

◆イエスこそ信仰の創始者であり完成者です。サタンの十字架の計らいは、それすらも神によってみこころを実現する機会とされてしまったのでした。
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by taste_hebrew | 2010-03-30 21:42 | 愛顧用語